ベートーヴェンの影響力
■ベートーヴェンの哲学
ベートーヴェンはカトリックであったが、敬虔なキリスト教徒ではなかったとされている。
ミサ・ソレムニスの作曲においてさえも
「キリストなどただの磔にされたユダヤ人に過ぎぬ」と発言したという。
その一方で、ホメロスやプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、
バガヴァッド・ギーター(インドの宗教書の一つで、
ヒンドゥー教の重要な聖典の一つ)を読み込むなどして、インド哲学の思想に近づき、
ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至ったとされる。
実際、ベートーヴェンが神と述べた時は、キリスト教的な人格神と、
汎神論的に遍在する神と2つ意味を同時に持っていることが多い。
彼の未完の作品である『第10交響曲』においては、キリスト教世界と、
ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。
これはゲーテが「ファウスト」第2部で試みたことであったが、
ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。
権威にとらわれることのない独自の宗教観が、
ミサ・ソレムニスや第9交響曲につながった。
■ロマン派からの脱却
ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、
感傷性と感情表現に代表される美学からは距離を置いていた。
同時代のロマン派を代表する芸術家であるE.T.A.ホフマンは、
ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしていたが、
ベートーヴェンはほとんど関心を示さず、これを無視していた。
ベートーヴェンが興味を示したのは、あくまでもゲーテやシラー、
また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、
ヘンデルやモーツァルト、ハイドンなどから最も影響を受けていた。
■教養人
その他にも、フランス革命とその後の保守反動の嵐の時代に生きたベートーヴェンは、
リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。
哲学者カントの思想に接近し、カントの講義に出席する事も企画していた。
天文学に関しての書物も深く読み込んでおり、
彼はまともな教育は一切受けていないにも関わらず
当時においてかなりの教養人であった。