ベートーヴェンの逸話
ベートーヴェンの楽曲の逸話は、
ベートーヴェンの晩年に秘書役を務めたアントン・シンドラーによるところが多い。
例えば第5交響曲の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、
ピアノソナタ第17番が『テンペスト』と呼ばれるようになったいきさつなどである。
しかしベートーヴェンはシンドラーを信用しておらず、
シンドラーはベートーヴェンの遺品を勝手に処分するなどしているため、
シンドラーの書いた逸話が事実なのか疑わしく、現在では信憑性がほとんどない。
またベートーヴェンは政治的には自由主義者であり、
このことを隠さなかったためメッテルニヒのウィーン体制では反体制分子と見られた。
1812年、テプリチェでゲーテと会い、散歩をしていた際に、オーストリア皇后の一行と遭遇した。
ゲーテが脱帽・敬礼をして一行を見送ったのに対して
ベートーヴェンは昂然として頭を上げ行列を横切ったという。
このため、ゲーテはベートーヴェンと絶交してしまった。
ハイドンとの関係についても似たようなエピソードが伝えられている。
伝説によれば、ベートーヴェンの臨終の間際、すさまじい雷鳴とともに稲妻が閃いたが、
彼は右手の拳を振り上げ厳しい挑戦的な顔をし、
遥か高みを数秒間にらみつけた後、その目を閉じたのだという。
そして彼は臨終際、
「Plaudite, amici, comedia finita est.」(諸君、喝采を、喜劇(お芝居)は終わった)
と発したと伝えられている。