ベートーべンの音楽に触れよう!

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ベートーヴェンの作風


■古典派からロマン派へ
ベートーヴェンは作曲家になった初期の頃、ラテン的な明るさを持つ作品を中心に書いていた。
その後の作風の変化についてはハイドン、モーツァルトの強い影響下にあることは否めない。



また、ベートーヴェンの音楽は、古典派からロマン派への橋渡しを行ったと言われている。

それでもベートーヴェン自体はウィーン古典派に属する最後の巨匠と見るのが普通である。
それは1802年と1818年頃のベートーヴェン自身の2度の危機の際、
当時頭角を現しつつあったホフマンなどのロマン派には興味を示さなかった。
むしろハイドンとモーツァルト、そしてバッハの遺した、ソナタなどの音楽形式や、
調性と対位法に集中し、それを活用する道を選んだからである。



■危機を乗り越えて進化する作風 1802年の1度目の危機とは遺書「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた精神的な危機である。
ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により乗り越えた。
つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、徹底して形式的・法則的なものを追求した。
この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

つまり、交響曲第3番「エロイカ」やピアノ協奏曲第5番ような壮大な作品においても、
交響曲第5番やピアノソナタ第23番のような圧縮された作品においても、
和声の法則と堅固な形式だけは、ベートーヴェンにとって侵す事のできないものであり
これの活用によってめざましい成果を得たといえる。 中期の交響曲はスケルツォの導入(第2番以降)や従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、
旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、
標題的要素(第6番)など、革新的とも言える技法を編み出している。
その作品は、古典派の様式美とロマン主義を極めて高い次元で両立させている
音楽の理想的存在として、以後の多くの作曲家に影響を与え、
第5交響曲に典型的に示されている「暗から明」「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は
劇性構成の規範となり、後のロマン派作品の多くがこれに影響を受けた。