ベートーべンの音楽に触れよう!

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ベートーヴェンの生涯


1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国のボンで生まれる。
幼少期を音楽環境に囲まれた祖父の支援により過ごす。



この頃、父親から音楽教育を受けることになる。
(一部ではこの時のスパルタ教育の影響で難聴になったのではないかとの憶測もある。)
1778年になると、ケルンで行われた演奏会に出演し、
1782年からクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。
10代には、酒乱で喉を患っていた父に代わって家計を支えていた。
父親は歌手だったがまともな収入がなく、子供を使って金を得ることしか考えていなかったという。
それとは対照的に母親はベートーヴェンを大切に育てた。
1787年、16歳になったベートーヴェンはウィーンへ渡り、そこでベートーヴェンと並び、
古典派音楽の巨匠の一人である、モーツァルトに出会う。
モーツァルトの弟子になることが決まったベートーヴェンだったが、母のマリアが病気のため亡くなった為、
酒に溺れた父と二人の弟の世話をせざるを得なくなり、音楽の勉強もままならない時期があった。



■才能の開花
1792年になると、ウィーンで精力的に活動を始め、
この時、後に「交響曲の父」と呼ばれたハイドンに師事する。
活動当初はピアノの即興演奏で名声を高めたが、この時期に父親が亡くなっている。

また、20歳代後半になるころには、持病の難聴が悪化し、
1802年頃には「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる遺書を執筆している。
その後、1804年に交響曲第3番を発表。
その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、
ベートーヴェンにとっての傑作の森と呼ばれる、充実した時期となる。


晩年は、慢性的な腹痛や下痢など体調の悪化に加えて、
甥カールをめぐり養育権争いが起こる。
その後も、カールの自殺遂事件が起こるなど、
心身ともに疲弊した日々を過ごすことになる。
しかし、作曲活動は充実しており、この時期に作られた作品交響曲9番や
ミサ・ソレムニスといった大作はベートーヴェンが到達した境地の高さを示すものとなっている。